学童疎開のこどもたちへの皇后陛下の御歌

コロナも5類へと移行し人の動きも出てきましたが、凶悪事件が多発し、地震も多く、落ち着かない日々が続いています。混沌とした世の中にあって思い浮かぶのが、中村天風のことばです。

晴れてよし 曇りてもよし 富士の山

1944年(昭和19年)当時の皇后陛下より、疎開学童と教師に、御歌とお菓子を送られました。当時山梨市に疎開した方の手記をご紹介します。

『来る日も来る日もおなかがすいて、歯磨き粉をなめたり、山芋を食べたりしていました。そんなある日、全国の疎開児童にと、皇后さまからビスケットが届けられました。

次の世を 背負うべき身ぞ たくましく
正しく伸びよ 里に移りて


御歌と一緒に白い袋に入った15枚のビスケットは、1人で食べるにはあまりにもおいしく、もったいなく、誰から言うことなく「東京のお母さんに送ろうよ…」早速皆で手紙を書きました。私も封筒に三枚入れて送りました。後日「届いた封筒に入っていた粉々になったビスケットを見て、母は声をあげて泣いていた」と父から聞きました』

心に響く話であるとともに、どんなことがあっても絶対に戦争を繰り返してはならないと思います。

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