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岸会計事務所 |
コロナの影響で売上が減少している法人・個人を対象に『事業復活支援金』という新たな支援金が開始されます。
最大で、法人250万円・個人50万円です。受けられる方は、この機会を最大限ご活用下さい。
*対象者 新型コロナの影響で、2021年11月〜2022年3月のいずれかの月の売上が、2018年11月〜2019年3月または2019年11月〜2020年3月または2020年11月〜2021年3月、
までの中の同じ月の売上と比較して50%以上または30%以上50%未満減少した事業者。
*給付額 基準期間5か月間売上 − (比較に用いた2021年11月〜2022年3月のいずれかの月)×5
基準期間5か月間売上とは、2018年11月〜2019年3月または2019年11月〜2020年3月または2020年11月〜2021年3月の内、比較に用いた月を含む5か月間の売上合計を言います。
例えば2019年11月の売上が500万円、2021年11月の売上が200万円、年商1億円の法人で、2019年11月〜2020年3月までの5か月間売上が1500万円であれば
1500万円−200万円×5=500万円となり、上限の100万円が満額給付されます。詳細は今後経済産業省より公表されます。
ここのところ、皇室が何かと話題になっていますが、執筆家の小名木善行氏の昭和天皇に関する文章に感銘を受けました。ここに紹介させていただきます。
昭和20年9月27日のことです。 陛下が一人の通訳だけを連れて、マッカーサーのもとを訪れました。
「ついに天皇をつかまえるべき時が来た」事前に連絡を受けていたマッカーサーは、大勢の軍隊の待機を命じました。
すでにこの時点で、陛下をどのようにするかGHQの中でも議論が交わされていました。方針は大きく分けて3つありました。
1 東京裁判に引き出して絞首刑に処する。
2 人民裁判の名のもとに処刑させる。
3 国外に亡命させて殺害する。
いずれにしても陛下を亡きものにすることが決められていたのです。マッカーサーは、陛下が命乞いに来られるのだろうと思いました。
ですから彼は、不遜にもパイプをくわえ、ソファーから立とうともしませんでした。
そのマッカーサーに対し、陛下は直立不動の姿勢をとられ、国際儀礼としてのご挨拶をなさった上で次のように話されました。
「日本国天皇はこの私であります。戦争に関する一切の責任はこの私にあります。私の命令においてすべてが行われました限り、日本にはただ一人の戦犯もおりません。絞首刑はもちろんのこと、いかなる極刑に処せられても、いつでも応ずるだけの覚悟があります」
弱ったのは通訳でした。その通り訳していいのか?けれど陛下は続けました。
「しかしながら、罪なき8千万の国民が住むに家なく、着るに衣なく、食べるに食なき姿において、まさに深憂に耐えんものがあります。温かき閣下のご配慮を持ちまして、国民たちの衣食住の点のみにご高配を賜りますように」
マッカーサーは驚きました。世界中どこの君主でも、自分が助かりたいがために、平気で国民を見捨てて命乞いをし、その国から逃げてしまうのが、いわば常識なのです。ところが陛下は、やれ軍閥が悪い、やれ財閥が悪いという当時のご時世下にあって、「一切の責任はこの私にあります、絞首刑はもちろんのこと、いかなる極刑に処せられても」と淡々とおっしゃられたのです。
マッカーサーは、咥えていたマドロスパイプを机に置きました。そして椅子から立ち上がりました。そして陛下に近づくと、今度は陛下を抱くようにして座らせました。部下に、「陛下は興奮しておいでのようだから、コーヒーをさしあげるように」と命じました。マッカーサーは今度はまるで一臣下のように、陛下の前に立ち、そこで直立不動の姿勢をとりました。「天皇とはこのようなものでありましたか! 天皇とはこのようなものでありましたか!」彼は二度、この言葉を繰り返したそうです。そして、「私も、日本人に生まれたかったです。陛下、ご不自由でございましょう。私にできることがあれば、何なりとお申し付けください」 と言いました。
陛下も、立ち上がられました。そして涙をポロポロと流しながら、「命をかけて、閣下のお袖にすがっております。この私に何の望みがありましょうか。重ねて国民の衣食住の点のみにご高配を賜りますように」とおっしゃられたのです。
そののちマッカーサーは、陛下を玄関まで伴い、自分の手で車の扉を開け、陛下をお見送りしました。そして、あわてて階段を駆け上がると、これまでのGHQの方針を180度変更するあらたな命令を下しています。このことがあったあと、マッカーサーは、「陛下は磁石だ。私の心を吸いつけた」と言ったそうです。
月刊致知令和4年2月号に「現代に伝承すべき近江商人の教え」と題して、近江商人の実業家でツカキグループ社長の塚本喜左衛門氏へのインタビュー記事が掲載されました。一部を紹介させていただきます。
―「三方よし」を突き詰めて考えると、商売ですからやはり売り手にとっての利益を上げることが第一義。しかし、結局何が目的かと問われれば、お客様の喜びであり、最終的には社会貢献へ行きつきます。そのすべてを実行することで初めて、世の中が回っていく。そのためには何よりもまず、根本である自分の商売でしっかり儲けを出し続けることが大切です。―
―家訓として大切に受け継がれているのが、『易経』の「積善の家に必ず余慶あり」の言葉です。よいことをすると必ず子孫に幸福が訪れるという訓戒です。―
積善の家に必ず余慶あり
コメント おなじ『易経』に、その反対の意味の「積不善の家に必ず余殃あり」(よくない行いを重ねると、それもそのまま災いとして子孫まで及ぶ。)という言葉もあります。
―祖母から事あるごとに教えられたのが塚本家にある「長者三代鑑」の掛け軸の教えです。一番下の絵が夫婦共に汗を流して真っ黒になりながら炭俵を作って働く創業者の絵で、真ん中は仕事をせずに芸事にうつつを抜かす二代目の姿。そうすると三代目で破綻し、一番上に描かれているように赤犬に吠えられる生活を余儀なくされる。この三代の絵を用いて「いま怠けると将来必ず苦労することになる」と懇々と諭されました。―
長者三代鑑(ちょうじゃさんだいかがみ)
―苦労が身に沁みていた父は、近江商人の教えを守り勤勉・倹約に徹しました。父の姿で真っ先に思い出すのは鉛筆を短くなるまで削り続けていた姿です。毎朝3時に起床すると、まずナイフで鉛筆を削り、その後各支店から届いた日報に叱咤激励のコメントを書き添えていました。その鉛筆はホルダーを使って極限まで使い切り、捨てずにとっていました。父の死後短くなった鉛筆でいっぱいの瓶が30個ほど見つかりました。これこそが父にとっての「積善の家に必ず余慶あり」の体現だと感じて、いまでも会社で大切に保管しています。―
―近江商人は「三方よし」の他に、商いをするなら事業や財産を三つに分けろという「三分法」の教えを説いています。リスク分散の意味もありますが、本業を大切にしつつ絶えず新しい事業を付け加えることで、新陳代謝が働き会社を活性化できるのだと思います。―
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